沖縄など遠隔地で節約をする意義

沖縄など遠隔地で節約をする意義

先日NHKの番組で視聴者から寄せられたFAXの中で「沖縄に住んでいるが被災地から遠く離れた場所で節約をする意味はあるのか」とコメントが寄せられていた。
司会者の心裡は別として「もっともなご意見ですがどう思われますか(他のコメンテーターに)?」と述べていた。
私も意味を問うだけならもっともな意見だと思う。被災地からだったら沖縄もアメリカ大陸も同じようなもの。アメリカで被災地の為に節約をしてもほぼ何の意味もないだろう。私が地震発生後から夕食を抜かしているのと同じくらい意味はない。私一人が夕食を抜かしたからと言って被災地の方々が助かるほどの食糧ではない事は承知の上だ。


意味は無いかもしれない。でも何か出来ないだろうか。『被災地の方々と共にいる』とは『意識』の問題ではないだろうか。
このFAXを送ってきた人はそうした意識が無さ過ぎる。情けないの一言だ。
『祈り』と同じで、気持ち、時には行動(節約)は形に現れない事が多々ある。遠隔地で節約をしても確かに『形』としては現れにくいかもしれない。
でも一人ひとりが『祈り』と同じく被災地の方々を『想う』気持ちを持つことが大事ではないだろうか。その小さな気持ちが、小さな行動となり、その小さな行動を我々みんながすればその力は計り知れないはずだ。
形に現れる事が大事なのではなくそうした「想い」や「意識」が変化をもたらすのは何事においても共通した事だ。
本来、東京湾にあるべき原発が福島にあっただけだ。200%安全でなければならないはずの原発事故は東京に住む我々は特に真摯に受け止めなくてはならない。
人間の持つ神秘さは計り知れない。形で表せるものにだけに価値があるわけでない事を知るべきだ。